ホーム 留学 インターンシップ トラベル ビジネス 旅行保険
 


New York / New York

New York Trendy

英会話

アメリカ旅行記

掲示板

About J-NewYork



もくじ


アメリカ横断ドライブ編 (22) 〜 アメリカ横断ドライブを終えて 〜

アメリカ横断ドライブ編 (21) 〜 完結編 LA空港から帰国へ 〜

アメリカ横断ドライブ編 (20) ロスアンゼルス(LA)

アメリカ横断ドライブ編 (19) ラスベガス 〜 LA

アメリカ横断ドライブ編 (18) デスバレーからの脱出

アメリカ横断ドライブ編 (17) デスバレー

アメリカ横断ドライブ編 (16) グランドキャニオン 〜 ラスベガス

アメリカ横断ドライブ編 (15) コロラド 〜 モニュメントバレー

アメリカ横断ドライブ編 (14) コロラド・ロッキー

アメリカ横断ドライブ編 (13) "アメリカ最古のコミュニティ" タオス・プエブロを訪ねて

アメリカ横断ドライブ編 (12) サンタフェ

アメリカ横断ドライブ編 (11) エルパソ 〜 アルバカーキ

アメリカ横断ドライブ編 (10) サン・アントニオ 〜 エルパソ

アメリカ横断ドライブ編 (9) シュレンバーグ 〜 サン・アントニオ

アメリカ横断ドライブ編 (8) ヒューストン 〜 シュレンバーグ

アメリカ横断ドライブ編 (7) ニューオーリンズ 〜 ヒューストン

アメリカ横断ドライブ編 (6) パンサコーラ 〜 ニューオーリンズ

アメリカ横断ドライブ編 (5) ハーディーヴァイク 〜 パンサコーラ

アメリカ横断ドライブ編 (4) チャールストン 〜 ハーディ−ヴァイク

アメリカ旅行記 番外編 ニューヨーク

アメリカ横断ドライブ編 (3) ワシントン 〜 チャールストン

アメリカ横断ドライブ編 (2) リッチモンド 〜 ワシントン

アメリカ横断ドライブ編 (1) ニューヨーク 〜 リッチモンド

ワシントンD.C.

ボストン、マサチューセッツ州

ニューポート、ロードアイランド州

フィラデルフィア、ペンシルヴァニア州





アメリカ旅行記




Previous Index Next


  • アメリカ旅行記 アメリカ横断ドライブ編 (15)
         〜 コロラドロッキーからモニュメントバレーへ 〜
by Hironobu Hamada, 4.5.2001


*前回までのスト−リー

ニューヨークを8月19日に出発し、ロスに向かったアメリカ横断ドライブ。 フロリダ、ルイジアナ、テキサスといったアメリカ南部を経由しながらニュー メキシコ州に入り、その後は北上してデュランゴ、シルバートン、ユーレイ といったコロラドロッキーの町々を通り、デンバーの西約380kmに位置する グランドJCTという町までたどりついた。


*9/2(Sa) グランドJCT, コロラド州 〜 マオブ, ユタ州 〜 モニュメントバレー, アリゾナ州 〜 フラッグ・スタッフ
      本日の走行 197マイル(トータル 4452マイル)


グランドJCTはユタとの州境に近いコロラド西部の町であり、州都のデンバーの 西250マイル(約380km)に位置している。ユタの州境からは30マイル (約48km)ほどである。デンバーほど都会ではなかったが、町の雰囲気は 悪くなく、”のりがいい人”が多かった。郊外の中流階級が多く住む町の ようである。

問題のマフラーであるが、この日の前日にグランドJCTのオートパーツショップに 3件ほど行ってみたが、どこも在庫はなかった。入荷するまで早くとも3日は かかるらしい。

ここで、私の車のマフラーの事情について簡単に説明しておくと、私の車の マフラーは、ニューメキシコからコロラドに向かうルートの途中で、道路上に できていた穴の真上を通った衝撃で付け根のところが真っ二つに折れた。もともと さび付いていたのが原因だが、その後はパワーが出ず、コロラドの上りでは ほとんどスピードがでなかった。

コロラドロッキーのシルバートンという小さな町で応急処置は取ったが、あくまでも 応急処置で、そこのオートパーツショップの人は、この車は安全上問題があるから できるだけ走らないほうがいいと私に言った。どうしてもユタ方面に抜ける 必要があった私は、その応急処置のままシルバートンから北に向かったが、これが 打って変わって車の調子がよかった。一見、私の車は完全に治ったかに思えた。

そのような状況で、この日もマフラーの調子はよかった。結局、3日もマフラーを 待てなかった私は、応急処置のマフラーのままグランドJCTからインターステート70を 西にユタ方面に向かって走り出した。

グランドJCTから西は、完全な山岳地帯だった。ほんの数分走っただけで、町の 雰囲気は全くなくなった。どっちを向いても山か草原しか見えなかったが、景色は最高だった。

インターステート70を走り出した後、30分もたたないうちにユタ州に入った。 ユタ州に入ると道路はグランドヴァレーを右手に望みながら延々と直線が続いた。 地平線が見渡せるほどの直線だった。ユタ州に入って20マイルほど走ると、シスコ(CISCO) という町、というよりもちょっとした集落にたどりついた。ここから私は、ルートを インターステートから変更して、ユタ州道128号線を通ることにした。モニュメント バレー方面に行きたかった私だったが、このルートを選んだ理由は、ただ単に私が持っていた 地図の推薦ルートだったからである。アメリカの地図は、私が持っていた地図だけに 限らず景色のきれいなルートを推薦している。一般的に、地図が推薦している ルートは景色のいいところが多い。今回私が通ったユタ128号線も期待を裏切らず すばらしいルートだった。

ユタ128号線はコロラド川沿いに走るルートだった。コロラド川は、濁流で、 赤茶けた土がそのまま流れているような川である。川沿いを走るルートで雰囲気が 変わりドライブは最高だったが、このルートは道路はぼこぼこだった。また、ガード レールがない場所が多かった。つまり、カーブで運転を誤れば、赤茶けたコロラド川に 一直線である!

ルート128は景色はよかったが、交通量は非常に少なく、対向車とほとんどすれ 違わなかった。景色はいいが、交通の便が悪いこともあって訪れる人は多くないものと 思われる。また、モアブ(Moab)までの40マイルは町はおろかガソリンスタンドも ない。人影が全くない完全に孤立したルートだった。巨大な岩をくりぬいたトンネルを 通ったりしながら、ルート128は1時間ほど続いた。

モアブ(Moab)からは連邦政府道191号線にルートを変更して、今度はアリゾナ方面に南下する ルートを取った。モアブの町は非常に小さかったが、ガソリンスタンドはあった。実は私は このとき、ガソリンが危なかった。このあたりはこのように町と町の間が何十マイルも離れて いて、ガソリンスタンドがないところが多いので、注意が必要である。

その191号線を2時間ほど走り、今度はルートを州道95線に変更した。モニュメント バレーに向かうには、このままルート191を直進してもよかったが、距離が近かった ことと、地図が推薦していたことで州道を通ることにした。結果的にはこのルート変更が 大正解だった。途中、モキーダグウェイ(Mokee Dugway)という標高6400フィート(約2000m)に 位置するモニュメントバレーを含む、アリゾナが大眺望できる場所を通ったからである。

しかしながら、このルート95はそれほど単純ではなかった。まず、車が全くと 言っていいほど走っていなかった。30分走って1台すれ違うかどうかのレベルである。 途中、町は言うに及ばず人の雰囲気が全くない。ただどこまでも続くような大自然の中を 走った。アップダウンが激しい砂漠地帯を1時間ほど走ると、突然舗装されていない道路に 変わった。こんなところに出るとは夢にも思わなかった。マフラーは応急処置だし、はっきり 言ってどこまで続くかわからない未舗装道路を走りたくはなかった。しかしながら、引き 返すことができなかった私はゆっくりと未舗装道路を走り出した。

ここで突然対向車が現れた。そこで私は思わず、この未舗装がどれぐらい続くのか 聞いてみた。ドライバーは50歳ぐらいのアメリカンハットをかぶったカウボーイのような 人だったが、彼が言うには3マイル(約5km)程度らしい。私は一瞬安堵した。それぐらいの距離だと 走り抜けることができると思ったからである。そして彼の言ったとおり、3マイルほど走って 未舗装道路を走り抜けた。

その後は、同じようなアップダウンの激しいルートが続いたが、しばらく上りが続いた後、 突然視界が開けた。視界が開けたというよりも、突然私の目の前に大眺望が現れた! 私は、このとき思わず、"Oh, my god!"と叫んだのを覚えている。先ほど紹介した モキーダグウェイである。標高6400フィート(約2000m)にある山の頂上であるが、 私の目の前をさえぎるものは全くなかった。ここは、はるか地平線の果てまでも見渡すことが できるような場所だった。私は今までこれほどの眺望を見たことがなかった。モニュメント バレーは言うに及ばず、アリゾナ方面まできれいに見渡せた。全く観光地化されて いない、訪れる人もほとんどいない自然のままのスポットであるが、ここの眺望は世界のどこの 展望台と比べても決して劣ることはないと思われる。

気が付くと、目の前に車がたった1台止まっていた。そして、突然その中から1人の男が 降りてきて、私の方に近づいてきた。彼はネィティブアメリカンだった。私は、思わず 驚いた。ここは周りに誰もいない完全に孤立した場所である。またまた、"Oh, my good!"と 思ったが、彼はそんな私の心境なんか関係なしにゆっくりと私の方に向かって歩いてきた。 一瞬私は彼が強盗でガンを突きつけられるような気がした。最悪、ガンで撃ち殺されて 車や金品をすべて奪われ谷底にまっさかさまになるんじゃないか、とも思った。そうなれば 旅行はおろか人生の終わりで、また「日本人留学生アメリカを旅行中に行方不明!」と いったような記事が日本のマスコミあたりをにぎわしたことだろう。

しかしながら、もちろんそんなことはなかった。彼は、ただ単にただネックレスを買わないかと 言ってきただけだった。落ち着いて様子をうかがってみると、ここに車を止めたまま、 時たま私のようにここを訪れる人にネックレスなどのネィティブアメリカンの装飾品を売って いるただの物売りである。何と、ここまでわざわざやって来て商売をしているとは! ”私は何も買わない”、と彼に言うと、彼はそのまま何も言わず、素直に車に戻っていった。

モキーダグウェイからのルートは完全に下りだった。3マイル(約5km)で1100フィート(約335m) 下るかなり急な下りだった。そのルートはモキーダグウェイから完全に見渡せた。

下りのルートは予想通り、ところどころガードレールがなかった。道幅も狭かった。すれ違う 場合は大変である。もし落ちれば、そのまま下まで一直線である。まさしく、ロッククライマー の映画「Vertical Limit」のような世界だった。

ルートを下りきった時は、下界に下りてきたような気がした。その後は、連邦政府道 163号線に合流し、モニュメントバレーに向かって走り出したが、何と大自然の大きなこと だろう。大自然の雄大さに比べると人間の生活空間は本当に小さなものであることを 実感した。

その後のルートも、右も左も地平線。前方にははるかかなたにモニュメントバレーが 見える。しかし、それが一向に近づいてこない。85mph(約140km)で走って いてもである。

モニュメントバレーに近づくと、交通量が増えだした。ところどころ、バレーを バックに写真を撮っている人がいる。しかしながら、モニュメントバレーが見えはじめて からモニュメントバレーまではかなり時間がかかった。すぐそこのような気がしたが、 信じられないぐらい近づくのが遅かった。

モニュメントバレーは有名な観光地であるが、観光地といっても何もなかった。 その一帯がモニュメントバレーと呼ばれる国立公園に指定されているだけで、 はでな観光施設は全くなかった。この点が、翌日に訪れたグランドキャニオンと 異なる点である。

はでな観光施設はなかったが、自然がそのまま残っていて、逆に私はその”自然のまま” が気に入った。

モニュメントバレーで、1時間ほど休憩した後、私はフラッグ・スタッフというグランド キャニオンのベースタウンに向かったが、途中ネィティブアメリカンが馬に乗って駆け抜けて いる姿を見た。しばらく走ると前方に夕日が見え、夕暮れを迎えた。大自然の中での 夕暮れは最高だった。そしてその夕日はまたたく間に沈んだ。

フラッグスタッフに到着した時は午後8時をまわっていた。

2, 3件のモーテルを訪ねたが、いずれも満室だった。私は今回の旅行でモーテルが 満室だったのはこの日が初めてである。"Labor Day Weekend"という夏の最後の 連休だったからである。

結局、私はネィティブアメリカンが経営する場末のモーテルに泊まった。

大自然の雄大さにただひたすら感動した1日だった。

次号に続く!


*写真

ユタ州道128, ユタ州道95, Mokee Dugway, モニュメントバレーなど。

http://www.j-newyork.com/us-travel12/index.html


*編集後記

今回のルートは何もない大自然の中をひたすら走るルートでしたが、これが またよかったです。インターステートや連邦道よりも州道がよかったですね。 州道はほとんど車が走っていなかったのですが、その開放感がまたよかったです。

特に、山を上っていって突然Mokee Dugwaiで大眺望が現れたときは、まさしく "Oh, my god!"の一言でした。その後、ネィティブアメリカンとのちょっとした エピソードがありましたが、本当にエピソードでよかったです。一人で旅行する 場合(特に女性)は、気をつけましょう。

それでは、次号まで。

Take care!
Hiro





COPYRIGHT(C) 2000-2009 J-STAR TRAVEL Inc.